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当事者意識と納得感の話

まだ雇われ感覚で消耗してんの?という記事を見て、なんかモヤモヤっと思ってたことを言語化していく。

決定権者には見えにくい納得という存在

当事者意識は

雇われ感覚でやってるうちは

生まれてこない

まだ雇われ感覚で消耗してんの?

上記の引用はおそらく自分で決定をコントロールできる決定権者側の視点であって、決定をコントロールできず納得できない決定にも從わざるを得ない立場からは出てこない意見だと感じた。

この「納得」というのが当事者意識を生むための大事な要素だという話。

プロダクトマネージャー曰く

チームが納得感を持つというのが重要というのがプロダクトマネージャーの間では共通認識となっているようで、

河合:この場は「Product Manager Conference」ですからね、秘密を教えちゃいます。ボトムアップの見かけは大変重要です。

PMとしては、エンジニアが同じ思いを持っているとすごくいい。言われて作らされている感をもたれるとやめちゃいますし。ですから、いかにエンジニアに「これがやりたかったんだよね?」「うん、これがやりたかった」と思ってもらうかが、PMの腕の見せ所です。

(中略)

まとめると、いかに「自分ごと」にしてもらって、プロダクトの成功にチームがコミットできる環境を作ることが大事です。あとはPMのキャラクター次第ですね。

及川:PMって、全員に納得感を持って決定を受け入れてもらうため、ファシリテーション能力がけっこう必要ですよね。既にいろんなところで話しているのでバレちゃってるテクニックですが、自分にこうしたい、という方向があっても、自分では言わずに相手の口から言わせるようにするんです。そうすると、相手は自分が決めたかのように、納得感を持って仕事を進めてくれる。 プロダクトマネージャーに必要な資質って何ですか? 元グーグルのPM対談 | HRナビ by リクルート

「自分ごと」にする≒(当事者意識を生む)ために、全員が納得感を持って取り組むというのがひとつの目標になっている。

納得感はどこから生まれるか

納得感を生むためには、

が必要ではないかと思う。

論理的な説明

価値観が違うから異なる結論に至ることそれ自体は問題ではなく当然のこと。

しかし、異なる結論から1つを選ぶとき、その選択に論理がなければ、価値観が違う人を納得させることは難しい。

開発中のWebサービス上の説明に対して、「私はこの説明がわからないからわかりやすくなるよう説明を変えよう」という意見と「私はわかりやすいと思うので変えなくていいと思う」という意見があったとする。

この意見の対立に対して、「私にとってはわかりやすいから文言は変えません」とだけ言って決定をすると、わからない側の納得は得られない。

例えばターゲットのペルソナをつくって、それに当てはまるテストユーザーに見てもらい、この説明はテストユーザーのN人中M人に通じる/通じないので、説明を変える/変えない、と論理的に説明することで、ステークホルダー全員が納得しやすい結論を導くことができる。

論理は正しい答えを導く手段というよりも、ステークホルダーを納得させるための手段という側面の方が強い気がしている。

情報の共有

「喫煙所の決定」という言葉がある。喫煙所では手持ち無沙汰であることが多く、そこに会話が生まれ、自然と愛煙家同士は仲良くなる。やがてミーティングで議論しきれなかった議題が持ち込まれ、特定のメンバーのみの間で決定が下されてしまう。

(中略)

そして、この「喫煙所の決定」を防ぐべきなのはリモートワークに限った話ではない。席のレイアウトやメンバーの役職、勤務時間や有給休暇など、同じことが起こる要素は他にもたくさんある。それらはすべて、同じように情報境界になりうる。

リモートワークへの努力とは何なのか - axross.io

議論の前提となる情報が公開されていない場所(例えば喫煙所)にしか存在しなくなることがある。すると、その前提から導かれる結論に納得することができなくなる。そんな前提知らんし! てなる。

情報を持っている側は得てしてそのことに気づかず、前提が全員に共有されているものとして進めてしまう傾向があると思う。何人かには共有していて、その人たちとの間ではスムーズに話が進むので。

そして、置いてけぼりになった者に納得感が生まれることはない。

また、このような「共有されない情報」の存在は「共有されなかった人は当事者ではない」ことを暗示してしまうので、納得など関係なく当事者意識を消し去る効果がある。

よほどセンシティブなものでない限り、情報はできるだけ共有することが望ましいと思う。

コミュニケーションコストとのトレードオフ

上記のようなことをして納得感を生むにはコミュニケーションのコストが必要である。何事もちゃんと説明して納得してもらうにはコストがかかるものだ。

このコミュニケーションのコストを無駄と感じるなら、チームメンバーの当事者意識は諦めた方が良いと思う。

雇われ感覚の代表例である受託開発の場合、コミュニケーションコストを捨てて(≒当事者意識を諦めて)、「仕様を渡しますのでその通りにつくってください」となりがちで、

上司の言ったことを、口答えせずに確実にやれば成功するというのが従来のやり方だった。

「熱意ある社員」6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査  :日本経済新聞

このやり方と同じである。顧客の言ったことを、口答えせずに確実にやって責任を果たしていくのがオーソドックスな受託開発である。

ところが、お客様の仕事ばかりをやっていると

失われていくものがありまして、

絶対的に当事者意識が足りなくなっていくんです。

まだ雇われ感覚で消耗してんの?

言われるがままにやる受託開発に慣れると、当事者意識は薄れていく。

なので、受託開発から自社サービス開発への転換が起こった時、自社サービスのことを自分ごととして考えようとする姿勢への転換が必要になる。

と同時に決定権者も、決定について納得させるような姿勢を持たないと、チーム全員が自分ごととして当事者意識を持つことは難しいだろう。

まとめ

まだ雇われ感覚で消耗してんの? で感じたモヤモヤは、

という2つの視点のうち前者しか書かれてないことで、決定権者の決定の仕方によってチームメンバーの当事者意識に悪影響があるという事実が見逃されていて、ともすればそのような責任がチームメンバーに転嫁されてるのではないか? というものであった。

デール・カーネギーの言う通りにできれば、この手の問題はだいたい起こんないですよねーという元も子もない感じのことを思った。

それはそれで非常に難しいので頑張ってやっていきましょう。