Michiaki Mizoguchi @mizoguche

情報会議 #2 に参加しました #Johokaigi

2015-11-19

24人で考えた情報共有ツールの悩み 情報会議 #2 レポート | JohoKaigi - 情報会議に行ってきた。

どんな感じやったかは上記記事見ていただいた方が早い感じあるので思ったことつらつらと書く。

esa.io

Qiita:Teamの中でesa.ioの中の人がLTするという器の大きさ。

esaは前職で使ってた(esa.io でドキュメント共有したらものすごく捗ってる | mizoguche.info)。使い始めていい感じやな~って実感して記事増えてきてカテゴリ分けどうしようくらいで転職したのでディープに使いこなすとこまではいってない感じではある。

そういえばGoogleで検索した時にesa内の検索結果を表示するChrome拡張 もざっくり書いたりしてたけど、結局転職してあんまり使う機会がなくなってしまった。

スライドにもある通り、WIPという「書きかけやけど公開しとくねー」ってノリで投稿して、誰でも編集できるから育てていこうぜ! っていう機能が良い。投稿へのハードルがめっちゃんこ低くなってる。

この辺、Qiita:Teamは編集リクエストはできるけど誰でも編集できるわけではないので思想の違いが見える。

Qiita:Teamは個人がドキュメントを所有して共有してく、esaはチームでドキュメント所有してチームでドキュメントをつくっていく、って感じやろうか。

あと、esaの(ブラウザ上の)エディタは細かいところまで気が利いてて良い。チェックリストの箇条書きしてたら改行時に次の行もちゃんとチェックリストになってくれたり、チェックをトグルするショートカットがあったり。Kobito頑張れ。

情報共有はコミュニケーション

@hapickyさんのLTの

情報共有のレベルが 信頼関係のレベルを 上回ることはない

情報共有≦信頼関係

ってとこらへんで、「情報共有」の本質は「情報伝達」=「コミュニケーション 」だということに気づかされた。

辞典類ではまず、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達、などといった簡素な定義文が掲載されている。

ただし、上記のような定義文では不十分で、一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きればが充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《心や気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことが起きて、はじめてコミュニケーションが成立した、とされている、といった説明を補っているものもある

コミュニケーション - Wikipedia

で、「情報共有」の正体が「コミュニケーション」であるなら、理解を深めるにあたってコミュニケーション学をあたるのが近道な気がした。

先人が突き止めたコミュニケーションの本質を学んで、現代のツールを使ってより良くしてく的な。いやすでにそういう研究もあるんでしょうけど。

自分はそこら辺の話は、マクルーハンが「メディアはメッセージである」って言ってはった、くらいの雑な知識しかないのでどっから手をつけたもんかなぁっていう。

情報共有ツールはメッセージである

@papixさんがLTでちらっと言ってはった「Qiita:Teamはエンジニアにとっての福利厚生」という話がその「メディアはメッセージである」って話につながってて面白い。

普通、メディアとは「媒体」を表すが、その時私たちはメディアによる情報伝達の内容に注目する。しかし、彼はメディアそれ自体がある種のメッセージ(情報、命令のような)を既に含んでいると主張した。例えば、同じニュース内容でもメディアが新聞か放送か週刊誌かネットかで受け止め方が違ってくる。

マーシャル・マクルーハン - Wikipedia

「Qiita:Teamというメディアを使う」ということ自体がすでに「エンジニア御用達のMarkdownでドキュメントを手軽に残せる環境を用意してますよ! ウチはエンジニアのこと考えてますよ!」ってメッセージを含んでるんですよね。

なので、普段からMarkdownを使ったりQiitaに慣れ親しんでるエンジニアにとってはポジティブなメッセージになるし、Markdownを知らなかったりQiitaを知らなかったりする人にとっては謎のツールを導入されてて覚えなあかんくて不安というネガティブなメッセージにもなりうるという。

みたいなことを考えてると、やっぱり情報共有についての知見を深めるならコミュニケーション学を知った方がいい気がする。

世界観の理解が必要ではないか説

懇親会で情報共有について価値を見いだせない人や情報共有したがらない人にいかに情報共有してもらうか、みたいな話をしてた。

「こういうメリットがあるからやろうYO」的なアプローチはワークショップで定量的な指標ってどんなんあるかなーとか話したので置いといて、「どうやったら情報共有させられるか」ではなく「どうしてその人は情報共有したがらないのか」をボーっと考えてた。

そういうのって、仕事へのコミットメントの差かなーと思うんすよね。「仕事楽しめてるか」と言い換えてもいいかもしれない。

仕事と趣味が一致してる人間には理解し難いことではあるんですが、一部には「仕事はツラいもの(であるべき)だ」という世界観があるように見えて、そういう世界観に生きる人たちには「情報共有して欲しい」というオファーは「ツラい仕事が増えるだけ」と感じてるのかもしれないなー、と。

前職の同僚の前職(ややこしい)の環境がまさにそんな感じやったらしくて、本人は飲み会で技術の話がしたいのに「なんで飲み会で仕事の話なんかするんよ」という雰囲気だったそうで、そういう人にとって仕事の話題のコミュニケーションってのは負担でしかないんやろなーっていう。

ってことだとすると、「仕事の話を楽しいと認識させる」か「仕事の話を楽しいと感じる人しか採用しない」という話になって、前者はしんどいからやっぱ採用大事だねという身も蓋もない思考になるのはまだ採用する段階にないスタートアップにいるからですね。

ともあれ、コミュニケーション不全はコミュニケーションでしか解決できないと思うので、情報共有に乗り気でない人と喋ってその人を理解する(そして信頼関係を築く)というのが大事な気はする。

まとめ

みたいなことを考えるいい機会がもらえるJohoKaigi - 情報会議 、来週第3回が行われて、年内にあともう1回は行われるとのことなので、この手のツールや手法に興味がある方は参加すると幸せになれると思うので是非参加されたし。